テクノロジーとデザイン、コンセプト

テクノロジーとデザイン

革新的なテクノロジーは私たちの生活を大きく変えていきます。テクノロジーの浸透が人の行動や生活を大きく変えます。新しいテクノロジーは新しい価値観を与えてくれるものです。こうした常識が覆される瞬間、どういったデザインを生み出せるか。それが我々が担うべき重要な課題です。

どんな素晴らしいテクノロジーを用いたプロダクトであっても、使ってみて『気持ちいいな』と思われなければ、生活の中には入ってきません。だからこそテクノロジーを人にとって心地よいかたちにしていくのが、デザインの役割です。

私が考える「美しいデザイン」とは、人が使って心地よいものを探しあて、形にしていくことです。それはテクノロジーだけ、すぐれた美的感覚だけでは実現できません。

日々、進歩を続けるテクノロジー。革新的なテクノロジーは、私たちの生活を大きく変化させる力を持ちます。こうした最先端技術を我々生活者にとって、使いやすく、心地よいものにしていくのが「美しいデザイン」の力です。

そして革新的なテクノロジーはその新しさゆえに、「それをどう使うか」は未知数です。先端技術が開発された当初は、私たちの生活に密接な 関わりはありません。その可能性を探り出すのも、デザインの役割の一つです。

デザインとコンセプト

人は芸術作品を創作・創造し、表現する人をアーティスト、アート寄りの人をデザイナー、技術寄りの人をエンジニアと呼びます。こうして私たちは、20世紀を通じて、アート、テクノロジー、デザインを別々に考えてきました。ある意味、そうすることでそれぞれの思考・方法論を発展させてきました。特にデザインは、アートとテクノロジーの間に存在する様々な思考を包含しながら発展してきました。

ここでは、アート、テクノロジー、デザインを対比的に捉えることで、デザインという思考をうまく表現した物語があるので下記に記します(過去のメモ書きから記載するので出典が不明)。

アーティスト、エンジニア、アーティストの3人に橋をつくることを依頼します。

アーティストは、今日的な課題を象徴したものを提示するでしょう。例えばそれは、川の途中で見えなくなる橋というものを考えるかもしれません。よってこの橋は、なんら実用的ではないが、その作品が語りかえることばによって、人々の感受性や洞察力といった人間的な能力を高めるかもしれません。

エンジニアの場合は、物理的な移動状況を調べ、それに耐えうる構造形式の提案します。さらには用意できる資金を念頭に置きながら適切な工法を選択して実行するでしょう。ただし、その合理性の追求のために、その橋自体が何ら人々の記憶に残らないものになる可能性もあります。

デザイナーは、人の話を聞き、不便を感じているかどうが、あるいは本当に橋は必要か考え、または町の歴史を紐解き、物理的な環境だけでなく、そこで行われる生活の営み、文化的な背景なども含めて、あるべきかたちをイメージしていくでしょう。これは当面の実用性を越えて、町の記憶の中にどう定着させていくという視点から、橋の在り方を見通していくことになります。

どのアプローチが正しいというわけではありません。しかし、それぞれが独立した職能として機能する現代において、それ故に専門の壁に阻まれています。これらが渾然一体となった捉え方や考え方があるでしょうか。

これらを渾然一体することができる捉え方、それが「コンセプト」です。コンセプトは、人々の持つ本質的な欲求を表すものです。アーティストは、時代に先行して社会の中でうまれてくる新しい欲求を想像し、人と社会について深い理解します。

そして、そのコンセプトを実現するためには、あらゆる技術シーズのポテンシャルをも深く理解しなければなりません。新しいテクノロジーも、コンセプトの上にいかに適合できるかによってその水準が決まってきます。コンセプトがテクノロジーと人とを結びつける触媒になりうる。これを担うことができるのがエンジニアです。

私たちはこのコンセプトがあるからこそ、新しいテクノロジーを自然に暮らしの中に取り入れることができます。そのコンセプトにあわせて、人間に寄り添う美しいデザインを考えること。それをデザイナーが担っています。

社会の多くの人々と共有できる問題を解決するのが「美しいデザイン」の本質です。社会の中でうまれてくる課題をきちんと想像できるためには、人と社会について深い理解が必要になります。

このようにものごとをコンセプト化する本質はすべて同じでありアート、テクノロジー、デザインを区別してとらえること自体が間違ってい