美しいプロダクトデザインと、デザイン思考に基づいたプロダクトは一体どこが違うのか?

イタリアのデザイナーのE.ソットサスが「デザインとは?」と問われた時に、「人に花を贈るようなもの」と答えています。このことは、デザインにとって最も重要なことを表しています。

つまり、いかに受け手発想に立つか、ということです。デザインにとっての最重要事項は、受け手である顧客・消費者との関係性の中での価値創造であると思います。

このような関係性については、拙著「教科書を超えた技術経営第4章美しいデザインで企業は成功する/日本経済新聞出版」で書いていますのでぜひご覧ください。


また、バウハウスの創始者であるW.グロピウスは、「デザインとはあらゆる分野の共通公分母」と言いました。

このように審美性だけでなく、快適性・安全性・経済性などのあくなき探求は、デザインの使命とも言えます。これは言い換えれば、「あらゆる人工物を少しでも美しくしよう、快適につくろう」との思想でもあります。

このようにデザインは、人々の生活や企業の社会的価値創造に寄与する存在にならなければなりません。

一方で、デザイン思考は様々な分野で用いられるようになりました。ところが、このキーワードが話題になるばかりで、実態としての現実的な成果がなかなか現れていないように感じます。

例えば、「優れたプロダクトデザインと、デザイン思考に基づいたプロダクトは一体どこが違うの?」と問われれば、一体どう答えるのでしょうか?

私も大好きなマリオベリーニには、優れたデザイナーであると同時に、デザイン思考に基づいたプロダクトを生み出しています。

彼のデザイン手法は、当たり前と思っていることの盲点を探しながら、最小限のメカニズムからデザインすることですが、このメカニズムの部分で弟ダリオのエンジニア的な発想能力が活かされていたと言われています。

マリオベリーニがデザインを完成させるまでには3つのプロセスがあります。

1.デザインの方向性を決める

デザイン条件を把握するために、第一回プレゼンまで3カ月は必ず取り、資料を集めて、デザインの方向性のチェック。その時、当たり前と思っていることの盲点を探すこと。そしてデザインは、必ず立体にしたものを用いる(プロトタイピング)。

.提案及びフィードバック(プロトタイピング)。

3.仕上げの処理方法

面と面との処理、グラフィックの大きさ、色、形の決定(優れたプロダクトデザイン)

このように優れたデザイナーであると同時に、「当たり前と思っていることの盲点」をプロトタイピングによって発見してデザインに取り入れていきます。

デザインエンジニアの必要性

また、「デザインエンジニア」というデザインとエンジニアリングの工程を分断せずに、こなせる人やチームが大切であると言われています。

自分で手を動かして、デザインとエンジニアリング両方のことをよく知っていることで、それがデザインで解くべき問題なのか、エンジニアリングで解くべき問題なのかを見極められることがモノではなくコトのデザインでは重要になっているからです。

このこともマリオベリーニは、当たり前のようにデザインしています。

例えば、代表作である象印の電気ポット(CAN2201)は、当初メーカーからは、取っ手の位置を安全性を考えてポット下部につけてほしいという依頼がありました。

象印の電気ポット(CAN2201)

しかし、マリオベリーニのデザインはポット上部に取っ手を付けたものでした。そこで、弟ダリオが取っ手と連動する安全装置の開発を行い、マリオのデザインを完成させています。

このように、デザイナーとエンジニアや経営者とデザイナーなどの関係が、必ずと言っていいほど成功している企業は上手くいっています。

さらに昔、GMは、「モデルチェンジ」というビジネスモデルを、デザインを巧みに使って生みだしました。

当時の社長であるアルフレッド・スーロンJr.は、「自動車を乗ることによって、他人に見られることを得意とする自動車を、大衆は欲しがっている」ことを見抜き、ハーリー・アールというデザイナーを雇い入れます。

そして、彼は現在多くの企業が採用しているものを生み出します。

  • 1.車のデザイン部門
  • 2.モデルラインアップ
  • 3.コンセプトカー
  • 4.モックアップによるデザイン

また、アップルのMac以降のデザインを具現化してきたのは、同社副社長のジョナサンアイプスです。ここにも、優れた経営者とデザイナーとの関係があります。

一方で、日本での、優れた経営者がデザインマインドを持っている例として、ホンダの創業者である本田宗一郎さんがいます。

「アクセサリーによってデザインの効果を現そうとする考え方は邪道だということだ。実用品自体がアクセサリーでありデザインであるということでなくてはならない。」

「私は、人間の美しさというものは、天然の美しさだけではなく、さらに磨き上げられた第二の天性が重なり合にじみ出てくるところにあると思う。デザインの価値というものはそれと同じである。」

などの名言を残しています。

さらに、SONYの黄金時代を築いた一人である大賀典雄氏は、初代デザイン室長でもありました。

「ソニーでは、競争相手のすべての製品は、基本的に、技術も、値段も、性能も、機能も同じだと想定している。デザインだけが、市場でよその製品に差をつけられる」

と語っています。

千の単位で繰り返された習慣

私が「コンセプト論」を習った、日本語ワープロを開発された森健一氏は、優れたデザインとは「次にアクションが予測できる」ものであると言っています。

例えば、車のスライドドアはドアノブを引いた瞬間に少しドアが開いて、どの方向にドアがスライドしていくかを伝えます。これは、使用する人が次のアクションを予測できるため、優れたデザインと考えられます。

悪い例は、壁に何個も並んだ天井ライトのデザインです。慣れないユーザーにとって、天井のライトの位置と、スイッチがリンクしないため何度か押して確認しないのは悪いデザイン例です。

しかしながら、こうした認知科学の観点から「わかる」ということを、デザインに反映させた場合、身体の学習機能を阻害する可能性があることも視野に入れなければなりません。

それが、『松岡正剛/茂木健一郎『脳と日本人』の中で記されています。

いま、われわれが持っている道具とか方法というのも、結局、個々人がというより、われわれに至る生き物がずっと習慣化してきて、その中で蓄積されてきたものだと思います。ですから、いまここにあるものを、われわれは自分が所有しているかのように錯覚するけれども、それは所有というのではなく、単に受け継いでいるということなのですね。

このように人間の行動が、記号化していまい行動の軌跡から創造性が生まれるのを奪ってしまう可能性を指摘しています。さらに、

千の単位で繰り返された習慣が臨界値に達して何かを創発することと、習慣もないのに便利になった道具を持っていることの格差が、これから、ますます開いていくだろうね。

この部分は、これはそのまま「創造性の格差」につながってきます。つまり、手でものをつくれるクリエイティブ・クラスとそうでなく頭でしかものを考えられない人がもつ創造力の格差として開いていくのです。

これは「テクノロジー」と「コンセプト」という視点から「デザイン」を考えようとしている立場からすると、考えさせられるものがあります。

もちろん、より楽しく、より心地よく、より便利などの、消費者の視点でのユーザー体験向上の実現は求められることですが、デザイナー、エンジニア、経営者は絶えずその記号化された行動の軌跡を意識してデザインしなければならないと思います。