日本のものづくりはなぜブランド化できないの

イタリアは、デザイン産業が盛んで、多くの傑出したデザイナーを生み出しています。

またトリノ、ミラノ、ジェノヴァでは、工業が発展し、フィアット、アルファロメオ、フェラーリ、ヴェスパ、オリヴェッティのタイプライターなど、遊び心と高い技術が融合した製品を生み出してきました。

一方で古くから織物、染物、裁縫などの手工芸によって栄えていたこともあり、イタリア各地にある工場で、エルメスやルイヴィトンなどのブランドの生産を請負いながら、独自のファクトリーブランドとしての地位も確立してきました(中国やベトナムで7割生産して戻すという裏話はありますが、、、)。

これらデザイン産業(ファッション)の歴史を紐解くと、イタリアと日本との違いが大きく異なることが分かります。

イタリアと日本の違い

歴史的に見れば、隣国フランスの貴族文化の中でメゾンが生まれ、それを請け負うものづくり工房としてのイタリアがありました。そのトップメゾンの仕様を満たすための技術づくり、むしろメゾンの高度な要求に鍛えられるようなかたちで技術が発展したとも言えます。

しかし、1980年後半に「イタリアの奇跡」と呼ばれた時代から、2000年代に入るとユーロ圏平均を下回る低成長が続きました。

一方で隣国フランスでは、トップメゾンの世界ブランド展開が進み、イメージ価値を上手く使った商品展開で売上を伸ばしていきました。ブランド産業が大きく成長したのは、例えば高品質な財布をイタリアで製造原価3万円でつくり、売価10万円で世界で販売するという関係があったからです。

今となってはあたり前ですが、このように無形資産を上手く活用できた企業が多くの利益を取る構図は商売の基本原則となっています。

そのような中、イタリアはトップメゾンのものづくりをしていたからこそ、どのようなものづくりをすればよいか、どのように売ればよいかを徹底的に考えるきっかけなりました。それが今日における工場自体のブランド化(ファクトリーブランド)に繋がっています。

一方で日本は急速な経済発展から、それなりの生活スタイルを身に付けなければとブランド信仰が拡大し、日本人全員がルイヴィトンなどの高級ブランドを持ち始めます。これを上手くコントロールしたのが、米企業や日本の総合商社でした。このように海外からブランドを持ち込み、それを大衆文化としていったのです。

イタリアと同じように、技術力の高いものづくりを極めて行く過程で抜け落ちたのが、トップメゾンに鍛えられる、つまりマーケット感覚のないままものづくりを続けていたことです。その結果として、ものづくりはコスト競争に陥ってくることになります。

もちろん、鯖江のメガネはアルマーニが採用し、岡山のデニムはエルメスがコレクションに出すなど、トップブランドに採用されているものづくり工場もあります。しかし、イタリアのように工場がファクトリーブランドとして世界に展開していくようなケースは僅かしかありません。イタリアと日本の技術力を比べれば、ものの完成度は日本の方が上だったとしても、売れない技術を持つ日本と、売れる技術を持つイタリアの違いは明白です。

結局、ものづくりの前工程の国内企業がブランド化できず、マーケテイングで世界で戦うこともなかったので、マーケティング的な発想でものづくりすることもなかった工場ばかりになり、結果的に衰退していったというのが現状ではないでしょうか。

つまり、ものづくりは、前工程の企業の訓練を受けて、ノウハウを学び、そこから工場のレベルを上げて、グローバルに展開できるようになるのです。このような関係はスイス機械式時計産業と巨大資本ブランドグループとの関係などにも見られます。

クォーツ革命から蘇ったスイスブランド

同じように前工程の企業の存在によって蘇ったケースとしてスイス時計産業が挙げられます。ご存じのように日本のセイコーが開発したクォーツにより、時計技術にノウハウがない企業であっても時計の製造が可能となり、これを切っ掛けに腕時計はクォーツが主流になっていきました。

そのような時代の流れに飲み込まれ、世界最古の時計ブランド ブランパンは事業を一時休止し、IWCは倒産寸前になりゼニスも機械式時計部門を売却するなど、スイスの時計業界は壊滅的打撃を受けることになりました。

1990年代に入ると、機械式時計が持つ「芸術性」を世界にアピールすること方向性を切り替えました。その先駆けとなったのが時計界の“スティーブ・ジョブズ”と称されるジャン・クロード・ビバーが率いたブランパンです。

そして現在では、多くのブランドが巨大資本グループの傘下(リシュモン、LVMH、スオッチグループなど)に入って経営を続けています。

そもそも機械式時計の技術力の高さはあったものの、新しい技術革新により、産業そのものが衰退したケースはどの産業でもあります。

しかし、イタリアと同じく、彼らは別の切り口のマーケティングによって復活し、さらには業界再編の中で巨大資本傘下でブランドビジネスをすること、つまりマーケティング的な発想でものづくりをすることを選んだのです。

ブランド化できない日本のものづくり

日本は、ものづくりを世界化しようとしてもそもそも、マーケティングではグローバルレベルではありませんでした。

世界化されているトップメゾンのOEMをやってきたイタリアと、日本の閉じた中でものづくりをしてきた日本、マーケティングとものづくりが一体化しているイタリア、技術的優位性は高いものの、売れるか売れないかは別で考えてくださいという日本。これらの違いが大きな差を生む結果となりました。

世界に出て、ブランド化を試みるユニクロは、機能性の高いヒートテックに代表されるように販売側が持つニーズやウォンツと、生産者側が持つものづくりを同期化させるためにSPA(製造小売業)を目指しました。

つまり、暖めるためにはどの素材を使うべきか、どこでどのようにつくるべきのかを用途目的から発想しています。イタリアはこのファッション版をしているとも言えます。このようにものづくり工場がついていく先の難易度が明暗を分けています。

日本は地場産業をどうやって世界化するのか、日本のものづくりの産業を世界化してブランド化していけるか、そのヒントがイタリアにあると思います。企業やデザイナーが世界に出て、世界で戦う中で日本のものづくり工場を鍛えていく。そしてそれがファクトリーブランドとして世界に打って出る。この流れをつくるためには、最低でも20年はかかるかもしれません。

しかし、忘れてならないのは、裏側にある価値をしっかりつくっていくことがものづくりのブランド化の一歩です。これをせずに芸能人やインスタグラマーに紹介してもらうなんてするから、ファクトリーがブランド化しないのです。

もう一度問うとすれば「本当にお客さんが欲しがる商品をこだわり抜いてつくっていますか?」という当たり前のことが抜け落ちているのです。